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コミュニティの衰退とルールについて その1

みなさん、こんにちは。初めての投稿である。これからはいろいろなことを垂れ流していこうと思う。ぜひ年寄りの愚痴や持論に付き合っていただければと思う。

さっそくだが、最近私はあるコミュニティ(某ゲーム専門のコミュニティ)に入り浸っていたのだが、ある理由であまり行かなくなってしまった。ついこないだまで、あそこは私にとっては居心地のいい場所であったのだが、最近になってなんだか行く気がなくなってしまった。私はわからないままというものは嫌なので、とりあえずそのコミュニティに行かなくなってしまった理由をまとめ、なぜあまり行かなくなったのかを分析することにした。

 

1.コミュニティ内にルールが存在しないことによる「暗黙のルール」の存在

そのコミュニティにはルールがほとんど存在しなかった。(目立ったルールは「公序良俗に反する投稿はおやめください」、「他者への誹謗中傷、罵倒、暴言、差別的発言はおやめください」のみ)なぜそうなっているのかというと、「ルールを設定することで自由な会話がしづらくなる」(コミュニティ管理人談)ということだった。そして、なるべくルールの追加はしないとも述べていた。確かにそれはそうだ。ルールに縛られてしまったら楽しいコミュニティができるはずがない。表現の自由が保障されてこそ和気あいあいとしたコミュニティが活動できるのは誰でもわかる。現にそのような自由な雰囲気に惹かれて私はそこに居付いた。

しかし、そのコミュニティにはもう一つ特徴があった。コミュニティの管理人も会話に参加をしており、身内ネタをしたり、あまりにも某ゲーム以外の話に脱線し続けているとコミュニティ内で注意を行い、その流れをなるべく断ち切るようにしていたことである。そちらについては「そのような会話ばかりになってしまうとコミュニティに新規の人が入りづらくなる」とのことだった。うん、それもそうだ。さすがに身内ネタや他のゲームの話で飛び交っているような特定のゲームのコミュニティには入りづらい。コミュニティの安定には常連のような人間は必要だが、それは同時にそのコミュニティの緩やかな衰退も生み出す。コミュニティの人口増加のためには、そのような話を取り締まることも必要かもしれない。

しかし、よく考えてほしい。本来ルールを設定しないはずだったのに、これで「身内ネタはなるべく控える」というルールが追加されてしまった。そして、このルールの厄介なところは「ルールとしての設定は行っていないので、あくまでも暗黙のルールである」というところである。暗黙のルールというものは、あくまでも暗黙のルールであるので個人個人がそれを頭に入れた上で自主的にルールの遵守を行わなければならない。そして、暗黙のルールである以上はルールに細かな設定がされておらず、どこで線引きを行っていいのかがわからない。例えば「身内ネタの連投は禁止。内容次第ではBAN。」といったルールを設定してくれれば話す側はむしろ楽である。ルールに引っかからないような言葉を選んで話せばいい。しかし、暗黙のルールだとその線引きはわからず、これは話していいのか、話してはいけないのかの判別がつかない。また、「そのルールに抵触しているのか実際は分からないがこのコミュニティを綺麗にするため、そして頑張ってくれているコミュニティの管理人のために一応注意しておこう」という意思を持った善意の市民が現れる。これを現代では自治厨という。自治厨が現れてしまうともう大変である。なにを喋っても「それはいけないんじゃないか」「その話は控えろ」の言葉で断ち切られてしまう。自治厨は管理人ではないのだが、人は正義を振りかざしている方に付くのが普通なので、まともなことをやっているようにみえる自治厨に味方する。そして自治厨の注意はどんどん傲慢になり、やがては自治厨が管理人の意思を無視して新たなルールを設定するようになる。

こうなると、やがて楽しく会話を行っていた本来善良である人々は居心地が悪くなったそのコミュニティを去り、自治厨とその意見に賛同した人間、そしてそのような事情に興味がない日和見主義の人間のみがそのコミュニティで奪い取った「自由な会話」を満喫する。それで現在そのコミュニティはどうなったかというと、「某ゲーム以外の話はなるべく控える」といった暗黙のルールが敷かれ、当初の「自由な会話」とはかけ離れた場所になってしまった。人数も見るからに減っており、以前のような活気も減っているのが目に見えてわかる。私もそれに耐えきれず、そこに顔を出さなくなったのだろう。

さて、本来ならここで他の理由も書いたほうがいいのだろうが、文章が長くなってしまったので今回はここまでにしたいと思う。できたら次回以降も書きたいと思う。